昭和の暴走族、令和の旧車會――この違い、知ってるか?
最近、財団法人国際交通安全学会がまとめた『暴走族の実態調査〜統計で見る暴走族の特徴』という資料を手に入れた。
これ、昭和の暴走族に関するデータがびっしり詰まっていて、読み始めたら止まらなくなっちまってさ。
あの頃の暴走族のイメージといえば、深夜の国道をブンブン走り回る連中――そう思っていたが、統計を見ると、意外にも知らなかったことがたくさんあった。
例えば、「蝟集(いしゅう)」なんて言葉で彼らの行動が表現されていたことや、彼らの職業構成、地域ごとの特色など、興味深い話ばかりだったんだな。たとえば、こんな文章も書いてあった。
暴走族は大別すると、次の2つのタイプに分類することができよう。
A グループ暴走族
B 蝟集暴走族
Aタイプはリーダーをもち、グループ名をもっている。
Bタイプはグループ化されず、特定場所に蝟集することを目的としている。
──という特徴をもっている。
そしてふと思った。
「昭和の暴走族と、今の旧車會って、どれくらい違うんだろう?」と。
外見的には似ている部分もあるが、その文化や活動内容には驚くほどの違いがあるらしい。
今回は、学会の資料を参考にしながら、昭和の暴走族と令和の旧車會、この二つの「群れ」の違いについて探っていこうと思う。
暴走族の実態とは?意外と多様な職業構成
昭和の暴走族は、どんな人たちで構成されていたのか?
調査データによれば、主な構成は無職やアルバイトだが、実はそれだけではない。
一定数の会社員や工員も含まれており、中には地元の中小企業で働く若者が、夜になると暴走族として活動するケースもあったそうだ。
特筆すべきは、彼らの地域性だ。
都市部では会社員やアルバイトが中心だったが、地方では地元産業に従事する若者が多かった。
たとえば、農業や林業、工場勤務など、「昼間は真面目に働いて夜は暴れる」というスタイルが目立っていたらしい。
しかし、この「夜は暴れる」という部分にも理由がある。
当時の若者にとって、暴走族は「仲間と自己表現を共有する場」だったんだ。これが単なる迷惑行為だけでなく、彼らにとっての「カルチャー」だった点は興味深い。
改造と自己表現――暴走族の美学
暴走族といえば、改造車だ。
ヘッドライトを奇抜に光らせたり、極端に長いマフラーを装着したり、まさに「個性の塊」とも言える車両たち。
当時の暴走族にとって、改造は単なるステータスではなく、「自己表現」の重要な手段だった。
調査によると、改造の流行にも地域差があったらしい。
たとえば、ある地域ではエンジンの音量にこだわる「直管仕様」が主流だった一方、別の地域では見た目の派手さを競う傾向が強かった。
改造車を誇示することで、集団の中での存在感を高める。これが昭和の暴走族にとっての「美学」だったみたいだ。
警察との攻防戦と規制の進化
昭和の暴走族といえば、警察との壮絶な攻防戦も語らずにはいられない。
「パトカーとバイクのチェイス」は、当時の風物詩だったと言っても過言ではないだろう。彼らは時に大胆に、時に巧妙に逃げ回ったらしい。
だけど、令和の現代では状況が一変しているんだよな。
厳しい規制と技術の進化により、暴走族そのものが激減したのだ。特に、ナンバー未登録車や違法改造車の取り締まりが強化されたことで、昔のように自由に走り回ることが難しくなった。
一方で、現在の旧車會は合法的な枠組みで活動している。改造も厳しい基準をクリアしながら行われ、派手さよりも「当時の再現性」にこだわる傾向が強いといえそうだ。
変わる「群れ」の意味――昭和と令和の違い
暴走族の象徴とも言える「蝟集」という言葉。
これはただ「集まって走る」だけでなく、仲間との絆や自己表現を示す象徴的な行動だった。彼らは集団で行動することで、自分たちの存在を社会に示していたのだ。
だが、令和の旧車會では「群れ」の意味が少し変わった。
彼らは集まって走るが、それは「昭和のバイク文化を共有し、楽しむ」ためだ。つまり、「暴れる」から「楽しむ」への進化と言えるな。
まとめ――時代が変わっても続く文化の形
昭和の暴走族と令和の旧車會を比較すると、共通点と相違点が見えてくる。共通しているのは、「仲間と共有する」という大切な価値観。一方で、社会や時代の変化に応じて、その在り方が大きく変わった。
暴走族が抱えていた社会的背景や文化的な意味を掘り下げると、彼らが単なる迷惑集団ではなく、時代を象徴する存在だったことが見えてくる。