カワサキのゼファーによってもたらされた、ネイキットバイクの一大ブーム。この潮流のなかで、XJRがなぜ人気を集めたのか!? 当時を知らない平成世代の単車乗りにも分かりやすく解説したい。
XJ400の後継となった水冷XJ400Zシリーズの販売も、90年代なかばに終了。カウルが解禁になった当初はミニカウル程度だったものが、徐々に勢力を拡大。やがてレーサーレプリカ全盛の時代を迎えるに至った。
そこに突如として現れたのが、カワサキのゼファーだった。
Zの落とし子とまで言われたそのバイクは、パワーとスピードに特化していったバイク業界の流れに抗い、カウルもない、パワーもリミットには程遠い丸裸の空冷4気筒だった。しかしこのコンセプトが当たり、爆発的に売れたのだ。
ブームとは振り子だといわれることがある。空冷4発にワッと火がついて、その反動でフルカウルのレーサーレプリカがブームに。そして今度は、そのレーサースタイルへのアンチテーゼとして、“なんでもないバイク”が売れ出したのだった。
ゼファーが作ったブームは“ネイキット(丸裸の・装飾がない、などの意味)”と呼ばれて各社から様々なスタイルの“ネイキットバイク”が生み出された。
さて、ゼファーのヒットに困ったのはヤマハの開発陣。実は、開発自体はゼファーより先に始まっていたといわれているのだが、ゼファーが先に世に出て、しかも売れてしまった。みずからはどんなバイクを作るべきなのか、答えが出せなくなってしまったのだ。
最終的に決め手となったのは、先代のXJ400が目指した、街乗りでも楽に扱えるスポーツバイクというコンセプトだった。懐古趣味を前面に押し出したゼファーとは違い、空冷4気筒の朴訥とした空気感を残しながらも「空冷最速のネイキッド」という、スポーツライクな面を前面に押し出した。
販売がスタートしたのは93年。89年のゼファー発売から、4年もの歳月を費やしていた。XJの発売時は後発の単車に改良の余地を与えてしまったが、今回は自身が後発。最高出力も限度いっぱいの53馬力で、スペック上でも他社に引けを取らない数字を並べている。
これがヒットしないハズがなく、王者ゼファー、水冷のCBと肩を並べる存在に。発売から1年でバージョンアップのSモデルが登場。なんとオーリンズのリアサスが標準装備になった。さらに1年後の95年には、フロントキャリパーがブレンボになった豪華版のRモデルも登場する。
その後、03年と07年にマナーチェンジがおこなわれ、排ガス規制で生産中止を余儀なくされる07年まで、売られ続けた。人気車種だけあって、生産中止から10年が経った今でも市場の在庫は豊富で、程度もそれなりに良い。平成生まれの単車乗りにとっては、まだまだ頼りになるバイクであり続けそうだ。
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