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【XJRのはなし②】XJRがいかにして人気車種になっていったかが3分で分かる解説コーナー!【平成世代の単車乗り必見!!】

カワサキのゼファーによってもたらされた、ネイキットバイクの一大ブーム。この潮流のなかで、XJRがなぜ人気を集めたのか!? 当時を知らない平成世代の単車乗りにも分かりやすく解説したい。
 

XJ400の後継となった水冷XJ400Zシリーズの販売も、90年代なかばに終了。カウルが解禁になった当初はミニカウル程度だったものが、徐々に勢力を拡大。やがてレーサーレプリカ全盛の時代を迎えるに至った。

そこに突如として現れたのが、カワサキのゼファーだった。

Zの落とし子とまで言われたそのバイクは、パワーとスピードに特化していったバイク業界の流れに抗い、カウルもない、パワーもリミットには程遠い丸裸の空冷4気筒だった。しかしこのコンセプトが当たり、爆発的に売れたのだ。
 
 
 

ブームとは振り子だといわれることがある。空冷4発にワッと火がついて、その反動でフルカウルのレーサーレプリカがブームに。そして今度は、そのレーサースタイルへのアンチテーゼとして、“なんでもないバイク”が売れ出したのだった。

ゼファーが作ったブームは“ネイキット(丸裸の・装飾がない、などの意味)”と呼ばれて各社から様々なスタイルの“ネイキットバイク”が生み出された。

さて、ゼファーのヒットに困ったのはヤマハの開発陣。実は、開発自体はゼファーより先に始まっていたといわれているのだが、ゼファーが先に世に出て、しかも売れてしまった。みずからはどんなバイクを作るべきなのか、答えが出せなくなってしまったのだ。
 
 
 


最終的に決め手となったのは、先代のXJ400が目指した、街乗りでも楽に扱えるスポーツバイクというコンセプトだった。懐古趣味を前面に押し出したゼファーとは違い、空冷4気筒の朴訥とした空気感を残しながらも「空冷最速のネイキッド」という、スポーツライクな面を前面に押し出した。

販売がスタートしたのは93年。89年のゼファー発売から、4年もの歳月を費やしていた。XJの発売時は後発の単車に改良の余地を与えてしまったが、今回は自身が後発。最高出力も限度いっぱいの53馬力で、スペック上でも他社に引けを取らない数字を並べている。
 
 
 

これがヒットしないハズがなく、王者ゼファー、水冷のCBと肩を並べる存在に。発売から1年でバージョンアップのSモデルが登場。なんとオーリンズのリアサスが標準装備になった。さらに1年後の95年には、フロントキャリパーがブレンボになった豪華版のRモデルも登場する。

その後、03年と07年にマナーチェンジがおこなわれ、排ガス規制で生産中止を余儀なくされる07年まで、売られ続けた。人気車種だけあって、生産中止から10年が経った今でも市場の在庫は豊富で、程度もそれなりに良い。平成生まれの単車乗りにとっては、まだまだ頼りになるバイクであり続けそうだ。

【前編はこちら】
【XJRのはなし】XJRのことをもう少しよく知っておきたいアナタのためのザックリとしたXJR解説コーナー!

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