これから男女問わず肌の露出が増えて、街中やリゾートでカッコいい刺青が見れる&見せられる季節がやってくる。
さて、ここニッポンで刺青といえば、和彫りとタトゥーがその代表格。で、このふたつは表面的には同じ「身体に彫るアート」として捉えられるワケだけど、じゃあどう違うの?と言いわれるとなかなか答えにくいんじゃないだろうか。
実はこのふたつ、身体に彫る際の技法や文化的背景において大きな違いがあるのだ。この記事では、その歴史や違いをざっくり詳しく掘り下げていくとしよう。
歴史と文化的背景
和彫り
和彫りは日本の伝統的な刺青で、古くから祭事や戦士の間で行われてきたものだ。そして独自の美学とストーリーテリングを持ち、そのデザインは一面全体を覆うような大規模なのが特徴。
また、昨今はその数が減ったとはいえ、和彫りは職人の手によって手彫りされることも少なくない。そしてその技術は師弟関係によって受け継がれてきた、というのも日本ならでは、と言えそうだ。
古代の和彫り
和彫りの起源は縄文時代にさかのぼる。この時代には、宗教的儀式や部族の識別のために体に文様を入れる習慣があって、これが刺青のはじまりと言える。
実際、紀元前3世紀頃の中国の歴史書『魏志倭人伝』にも日本人が体に刺青を入れていたという記録があるのだ。
これらの刺青は、魚や動物の精霊を呼び寄せるための魔除けとしての役割も果たしていたと考えられている。
中世の発展
平安時代(794-1185年)には、なんと犯罪者への罰として刺青が施されるようになっていた。この「入墨刑」は、罪人の身体に罪状や罰の種類を示すためのもので、社会的な烙印を押す役割を果たしていた。
一方で、戦国時代(1467-1603年)には、武士が戦いの前に勇気を示すためや、敵に対する威嚇として刺青を入れることもあったそうだ。
同じ刺青でも、かたや烙印、かたや威嚇と、全然違う用途で使われていたのは興味深い。
江戸時代の隆盛
江戸時代(1603-1868年)は和彫りの技術が大きく発展した時代だ。この時代、和彫りは職人たちの間で広まり、特に浮世絵師の影響を受けて多彩なデザインが生まれてきた。
代表的なデザインは龍、虎、風神雷神、花鳥風月など、日本人にはお馴染みのモチーフだ。また、背中全体に大きな絵柄を入れる「背中彫り」が一般的になったのもこの頃。刺青は一種の芸術と見なされるようになったのだ。
近代の変遷
明治時代(1868-1912年)になると、政府は西洋化政策の一環として刺青を禁止した。しかし、この禁止令にもかかわらず、和彫りの技術はアンダーグラウンドで密かに受け継がれ続けたというから驚きだ。
戦後になると、和彫りは再び表舞台に登場し、特に昭和の頃にはヤクザ文化(ヤクザ映画とかたくさん上映された)との関連で広く知られるようになった。しかし、一方で和彫りはアートとしての認識も高まり、多くの芸術家や愛好者によって支持され、今に至っているのだ。
現代の和彫り
このような歴史を持つ和彫りは、今や伝統文化としての側面と現代アートとしての側面を併せ持っている。多くの和彫り師たちが伝統的な技術を守りながらも、現代の感性を取り入れた新しいデザインを創り出しているぞ。
また、海外でも和彫りの美しさが認識され、多くの外国人が日本を訪れて和彫りを求めるようになってるのもよく知られている。
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タトゥー
一方、タトゥーは西洋文化から発展したもので、現代では世界中で広く行われている。そして世界各地で独自の発展を遂げてきたタトゥーのデザインは非常に多様で、個々のアーティストの創造性が反映されることが多い。
タトゥーは電動のタトゥーマシンを使って彫られることが一般的で、より短時間で広範囲に彫ることが可能なのも特徴だ。
古代のタトゥー
タトゥーの歴史は紀元前5000年頃の新石器時代に遡ることができる。なんと、エジプトのミイラや、オーストリアのアイスマン「エッツィ」の体にもタトゥーの痕跡が見られるのだ。
古代のタトゥーは宗教的儀式、魔除け、部族の識別、社会的地位を示すため、などなど幅広い意味合いで使われていた。例えば、エジプトでは女神ハトホルを象徴する図案が見られ、ギリシャやローマでは奴隷や犯罪者の識別のために用いられていたという。
ポリネシアとアメリカ先住民のタトゥー
ポリネシアの文化では、タトゥーは重要な儀式の一環であり、社会的地位や勇敢さを示すために用いられた。
特に有名なのはマオリ族の「モコ」で、顔全体に彫られる複雑なデザインが特徴(ディズニーアニメでも有名だね)。アメリカ先住民も、戦士の勇気や部族のアイデンティティを示すためにタトゥーを用いていた。
このあたりは日本の戦国時代とも共通していて面白い。
中世ヨーロッパのタトゥー
中世ヨーロッパでタトゥーは一時期衰退したが、十字軍の時代に再び注目されるようになった。十字軍の兵士たちは、聖地エルサレムで十字架のタトゥーを入れ、信仰を示していた。
また、この時期にヨーロッパにタトゥーが再導入されたのは、アメリカ大陸やオセアニアへの探検が影響していると言われている。
近代のタトゥー
18世紀末、キャプテン・クックの探検隊がタヒチやニュージーランドを訪れた際、ポリネシアのタトゥー文化がヨーロッパに紹介された。
19世紀になると、電動タトゥーマシンが発明され、タトゥーの普及が加速した。この時期、タトゥーは海軍や犯罪者、反社会的な人々の象徴とされることが多くなったが、同時に芸術的な側面も認識されるようになっていた。
現代のタトゥー
20世紀後半から21世紀にかけて、タトゥーはファッションや自己表現の手段として広く受け入れられるようになった。
その理由として、特に1980年代以降、パンクやヒップホップ人気の急上昇が影響したことが考えられている。また、タトゥーアーティストの技術が向上し、非常に細かく複雑なデザインが可能になったことも広がった理由と言えそうだ。
現在では、タトゥーは個人のアイデンティティやライフスタイルの一部として広く認識されているのは周知の通りだ。
タトゥーの種類と技法
タトゥーには様々なスタイルと技法が存在するので代表的なのを紹介しよう。
オールドスクール(トラディショナル)
オールドスクールタトゥーは、太いアウトラインと鮮やかな色使いが特徴。主に海賊や水夫をモチーフにしたデザインが多く、アンカー、スワロー、ローズなどが代表的。このスタイルは20世紀初頭にアメリカで人気を博したぞ。
ニュースクール
ニュースクールタトゥーは、オールドスクールのスタイルを基に、より自由で創造的なデザインが特徴。カートゥーンやグラフィティの影響を受け、明るくポップな色使いと誇張されたキャラクターが多い。
リアルスティック
リアルスティックタトゥーは、写真のようにリアルな描写が特徴。ポートレートや動物、自然風景など、非常に細かくリアルなデザインが求められる。
タトゥーアーティストの技術が試されるスタイルだ。
ブラックワーク
ブラックワークタトゥーは、黒一色で描かれるデザインが特徴。
幾何学模様やトライバルアート、抽象的なデザインが多く、ミニマリズムを追求する人々に人気がある。
技法と仕上がり
和彫りの技法
和彫りは、手彫りによる技法が主流で、針と墨を使い慎重に皮膚の深い部分にまで色素を入れていく。この手法により、和彫りは立体感があり、色合いも深くなるのが特徴。
また、和彫りは全体のバランスを重視し、大きな絵柄を一度に彫ることが一般的だ。
タトゥーの技法
一方でタトゥーは、電動のタトゥーマシンを使用し、比較的浅い層に色素を入れていくという違いがある。
このため、タトゥーの仕上がりは平面的で、色鮮やかさが際立つのだ。小さなデザインや細部にわたる描写が得意で、個々のデザインが細かく表現される。
除去の難易度
和彫りの除去
和彫りは前述の通り、皮膚の深部に色素が入っているため、除去が非常に難しい。レーザー治療では深部に届きにくく、色素を完全に除去するのは困難を極める。
そのため、場合によっては切除手術が必要となり、これもまた大規模なデザインでは実現が難しいことがある(手塚治虫の『ブラックジャック』にこういうネタのエピソードがあったな)。
タトゥーの除去
タトゥーは浅い層に色素があるため、レーザー治療で比較的簡単に除去できることが多い。
ただし、色素の色によってはレーザーが効果を発揮しにくい場合もあり、また、色素が完全に除去されるまでには複数回の治療が必要だ。
社会的認識と利用目的
和彫りの認識
和彫りは伝統的な文化の一部として尊重される一方、ヤクザなどのイメージが強いため、社会的には偏見が存在することもある。しかし、最近ではアートとしての価値も見直されてきているのが喜ばしい。
タトゥーの認識
タトゥーはファッションや自己表現の一部として広く受け入れられている。特に若者の間で人気があり、社会的な認知度も高まっているぞ。しかし、まだ一部の職場や公共の場ではタトゥーに対する偏見が残っていることも事実。ただこういった認識も徐々に変わっていくことだろう。
まとめ
和彫りとタトゥーは、見た目や技法、文化的背景において大きく異なるもの、ということを分かってもらえたと思う。どちらも独自の魅力と価値を持っており、個々の好みや価値観によって選ばれている。
一方で、もし除去が必要になった際にも、それぞれの特性に応じた方法が必要であり、事前にしっかりと理解しておくことも重要だ。
これから和彫りやタトゥーを考えている人は、その違いをしっかりと理解した上で、自分に最適な選択をすることをお勧めしたい。