みんな、マジソンバッグって覚えてる?
あの頃、街を歩けば誰もが持ってた、あのカバンだ。
俺も当時は「なんでこんなに流行ってんだ?」って思ってたけど、調べてみると結構面白い話がある。今回は、そのマジソンバッグの歴史やヤンキーとの関わりについて語ってみようと思う。
マジソンバッグの誕生
マジソンバッグが世に出たのは1968年(昭和43年)。
東京の伊勢丹から「オリジナルのスポーツバッグを作ってほしい」って依頼を受けて、エース株式会社が開発した。最初は東京で売り出したけど、どうやらあんまりパッとしなかったらしい。一方で、神戸や横須賀の女子高生たちが目をつけて、そこから火がついたんだとか。
やっぱり、港町のオシャレな子たちは目の付け所が違うよね。
1978年(昭和53年)までの10年間で販売個数は1000万個を記録。類似品を含めると2000万個が販売されたと推測されてる。3万個売れればヒットといわれるカバン市場で、この数字はマジで驚き。文字通りケタ違いの売れ行きだった。
これほどの異常な人気ぶりは、まさに社会現象。どうりでどこでも目に付いてたワケだ。
デザインの魅力
あの濃紺の生地に白い英字「MADISON SQUARE GARDEN SPORTS MAN CLUB」ってロゴが入ってて、シンプルだけど存在感バッチリだった。
当時、日本初の英文字入りスポーツバッグだったのも人気の一因だろう。多くの少年少女がマジソンバッグを初めて見たとき「なんかアメリカっぽくてカッコいいじゃん」って思ったもんだ。
あまりの人気ぶりに、当時高校生だった今上天皇陛下徳仁様もご所望されたらしい。なんと、マークなしの特注品がご用意されたとか。
実際、皇族関連の記録映像には、文字がいっさい入っていないマジソンバッグの特注品を携えた徳仁さまが映っているから、気になる方はチェックしてみていただきたい。
こういうエピソードがあると、改めて当時の流行のすごさがわかる。
ヤンキーとマジソンバッグの出会い
ヤンキーの代名詞ともいえるマジソンバッグだが、70年代の初め頃には、すでにヤンキーたちの間で定番アイテムになってたみたいだ。
あの頃、学生カバンをぺちゃんこに潰して持つのが流行ってたけど、マジソンバッグも同じように潰して使っていた。それも、普通に取っ手を持つんじゃなくてバッグ本体の上部を鷲掴みにするのがオシャレだった。
これがまた、ちょっとワルっぽくてカッコよかったんだよな。
マジソンバッグの終焉と復活の兆し
そんな一世風靡したマジソンバッグも、80年代に入るとだんだんと姿を消していった。盛者必衰、時代の流れとともにファッションのトレンドってのは変わっていくもんだ。
ただ、最近になって復活の兆しが見えてきた。
クラウドファンディングでマジソンバッグの復刻プロジェクトが実施されて大成功を収めたり、それに追従するように多くの復刻版がネットショップに出回ったり、なんと本革でリメイクするメーカーまで登場している。
ちなみに、台東区にある「世界のカバン博物館」には、今では貴重な実物が展示されているぞ。オリジナルのマジソンバッグをひと目見たい!と思ったなら、一度足を運んでみるのもアリかもしれない。
ちなみにこの写真からもわかるように、本物と偽物の見分け方は「ACE」の社名が入っているかどうか、らしい。
まとめ
マジソンバッグは、ただのカバンじゃなくて、俺たちの青春そのものだったんだな。あの頃の熱い思いや、仲間との絆が詰まったアイテムだった。
今の若い子たちにはピンとこないかもしれないけど、俺たちにとっては大切な宝物だったんだ。みんなも、押し入れの奥に眠ってるマジソンバッグを引っ張り出して、あの頃を思い出してみてはどうだろうか。