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【バブルの象徴】80〜90年台をゴージャスに駆け抜けた「ハイソカー」ってあったよね?【今も人気沸騰】

先日掲載した記事でハードトップ車の魅力について力弁したが、ハードトップで4ドアでFR駆動、かつトヨタ車であれば、「ハイソカー」という括りで語られる場合が多い。

さてこの「ハイソカー」という呼称について馴染みの薄い人たちもいるかと思うので、今回は「ハイソカーとは何ぞや?」というテーマで書き連ねていこうと思う。
 
 
 
 
 

ハイソカーの魅力とその特徴

1980年代から1990年代にかけて、日本の自動車市場で一世を風靡したのがハイソカー(ハイソサイティカー)だ。

ハイソカーとは、高級感を前面に押し出した車種群のことであり、その豪華な装備と洗練されたデザインが特徴。多くの日本人にとって、ハイソカーは文字通りステータスシンボルであり、バブル期の象徴とも言える存在だった。

1980年(昭和55年)にクレスタを発売していたトヨタは、1982年(昭和57年)のマイナーチェンジ時に姉妹車のマークII/チェイサー共々ツインカム24(1G-GEU)を設定。トヨタが「スーパーホワイト」と名付けた白いボディカラー(実際には初代ソアラの前期型で初めて導入された)のこの3車種は爆発的に売れた。

白い高級車のブームは1984年(昭和59年)に登場したGX71系マークII/チェイサー/クレスタで決定的なものとなり、この頃から1クラス上のトヨタ・クラウンや日産・セドリック、ソアラなども含めた、高級乗用車全体のブームへと発展する。当時のバブル景気もこのブームを後押しした。

自動車雑誌では「ハイオーナーカーブーム」と呼んでいたが、『ホリデーオート』(モーターマガジン社)がこれを「ハイソカーブーム」と名付け、この頃に登場した多くの高級乗用車を「ハイソカー」と呼ぶようになった。

「ハイソカーブーム」の時代は、オーナーカーとして爆発的に売れただけではなく、多くの車種がフロントエンジン・リアドライブ (FR) だったことから、特にマークII3兄弟、ローレルは自動車教習所の教習車や小型タクシーとしても大量に投入されていた。
 
 
 
 
 

ハイソカーの特徴

ハイソカーの最大の特徴は、その「高級感」にある。

内装には高品質なレザーやウッドパネルが使用され、外装も直線的でシャープなデザインが多い。乗り心地も抜群で、静粛性や走行性能も優れている。これにより、ドライバーはまるで高級ホテルにいるかのような快適さを味わうことができる。

また、ハイソカーは技術面でも他の車種を凌駕していた。

当時考えうる最新のエレクトロニクスを駆使した豪華な装備や、先進的なドライバーアシスト機能が搭載されており、自動車技術の粋を集めたモデルが多かった。例えば、自動車電話やカーナビゲーションシステム、エアサスペンション、ABS、トラクションコントロール、衝突安全ボディ、さらには横滑り防止装置等の安全技術などに至るまで、現在では一般的となった技術がいち早く搭載された。

さらに、ハイソカーの特徴として、そのカスタマイズ性が挙げられる。

当時、多くのオーナーが自分のハイソカーをさらに豪華に、そして個性的にするためにカスタマイズを行った。アルミホイールやエアロパーツ、高級オーディオシステムなど、多種多様なアフターマーケットパーツが登場し、ハイソカー文化をさらに盛り上げた。
 
 
 
 
 

主なハイソカーモデル

実際にハイソカーとしてカテゴライズされたのはトヨタの4ドア車が多いが、他の自動車メーカーもハイソカーブームにあずかるべく、対抗車を発売していた。そんなハイソカーの代表的なモデルには以下のものがある。
 
 
 
 

トヨタ クラウン


日本を代表する高級セダンであり、多くのバリエーションが存在する。その上品なデザインと高い信頼性で、多くのビジネスマンに支持されてきた。「いつかはクラウン」という名キャッチコピーがあったくらいで、長きにわたりその豪華な装備と高い走行性能で人気を博した。
 
 
 
 

日産 セドリック/グロリア


日産のフラッグシップモデルであり、クラウンと並ぶ人気を誇った。特に、セドリックのシーマはバブル期に一世を風靡したモデルである。シーマはその革新的なデザインと豪華な装備で、一時期は「シーマ現象」と呼ばれる社会現象を巻き起こした。ただ、当時の日産車特有の「漢クサさ」も相まって、ハイソカーとは異なる「ワル」な設定が後付け・増幅され、VIPカームーブメントへと繋がった。
 
 
 
 

ホンダ レジェンド


ホンダの最高級セダンであり、トヨタ・クラウンに対抗意識を持つホンダのフラッグシップカー。その技術革新と高性能は後に他の国産車メーカーに大きな影響を与えたことで知られる。静粛性や乗り心地も抜群で、高級車市場で一定の地位を築いた。特に、第二世代レジェンドは、その時代の最先端技術を結集したモデルとして高く評価された。
 
 
 
 

マツダ ルーチェ


マツダの高級車であり、「マツダのクラウン」といった位置付けで販売された。内装などもクラウンやセドリックなどを意識していて、その美しいデザインと豪華な装備で人気を博した。特に、「ルーチェロータリー」は、その独特のエンジン構造と高い走行性能で一部のマニアに支持された。
 
 
 
 

三菱 ディアマンテ


三菱の高級セダンであり、その先進的なデザインと高性能で知られる。初代はバブル景気とは重なって好調な売れ行きを見せた。特に、四輪駆動システムやターボチャージャーを搭載したモデルは、その走行性能で多くのファンを魅了した。
 
 
 
 

ハイソカーの人気度と市場価格


ハイソカーの人気は1980年代後半から1990年代初頭にかけてピークを迎えた。

バブル経済の影響で人々の購買力が高まり、高級車への需要が急増したのである。この時期、多くの人々がハイソカーを購入し、ステータスシンボルとしての価値を享受した。特に、ビジネスマンや芸能人など、社会的地位の高い人々にとって、ハイソカーは自分の成功を示す重要なアイテムであった。

しかし、バブル崩壊後、その人気は徐々に衰退していった。経済状況の悪化に伴い、高級車の需要が減少し、多くのハイソカーが中古市場に流れるようになった。

それでも、ハイソカーの影響は現在でも残っており、特にクラシックカーファンの間でその価値が再認識されている。

市場価格についても、状態の良いハイソカーは高値で取引されることが多く、特に希少なモデルや限定車はプレミアム価格がつくことがある。

例えば、初代クラウンロイヤルサルーンや、セドリックシーマの初期モデルなどは、その希少性から高い市場価値を持つ。また、レジェンドの初代モデルや、ルーチェロータリーの保存状態が良いものも、高値で取引されることが多い。これらの車両は、当時の技術やデザインを体感できる貴重な存在として、多くの愛好者に支持されている。
 
 
 
 

ハイソカー文化の影響


ハイソカーは単なる自動車ではなく、一つの文化的アイコンとして日本の自動車史に深く刻まれている。特に、1980年代から1990年代にかけてのハイソカー文化は、現在の自動車市場やカーカスタマイズ文化にも大きな影響を与えている。

例えば、現在の高級車市場では、ハイソカーの設計思想や技術が引き継がれている。現代の高級セダンやSUVには、ハイソカーの影響を受けた豪華な内装や先進的な技術が多く取り入れられている。また、カスタマイズ文化においても、ハイソカーの影響は色濃く残っている。多くのカスタムパーツメーカーが、ハイソカー向けのパーツを提供し続けており、その人気は衰えることがない。

さらに、ハイソカーは映画やドラマ、アニメなどのメディアにも頻繁に登場し、その魅力を広く知らしめている。特に、バブル期を舞台とした作品には、ハイソカーが象徴的な存在として描かれることが多い。これにより、当時の若者だけでなく、現代の若者にもハイソカーの魅力が伝わっている。
 
 
 
 

まとめ

ハイソカーは、その豪華な装備と洗練されたデザインで1980年代から1990年代にかけて日本の自動車市場で大きな影響を与えた。その高級感と最新技術を駆使した装備は、多くの人々にとって憧れの存在であった。

現在でも、その価値は再評価されており、クラシックカー市場で高い人気を誇っている。ハイソカーは単なる自動車ではなく、一つの文化的アイコンとして日本の自動車史に刻まれているのである。

ハイソカーの魅力は、その豪華な装備や先進的な技術だけではなく、その時代背景や文化とも深く結びついている。バブル期の象徴として、多くの人々に夢を与えたハイソカーは、現在でもその輝きを失わず、多くの愛好者に支持され続けている。

これからも、ハイソカーは日本の自動車文化の一端を担い、その魅力を発信し続けるだろう。

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