単車&暴走族

【知っ得】POPヨシムラが親子の縁を切って生まれたのがモリワキ。二人は師弟で親子だった【世界のマフラー】

2018年4月7日

プーマとアディダスの創業者が実は兄弟だったように、世界的ブランドのトップか血縁関係にあることは珍しくない。マフラーの世界的ブランド、みんなも大好きなヨシムラとモリワキも、もとはひとつの会社だった。

単車乗り、特に旧車乗りなら誰でも知っている国産のマフラーといえば、ヨシムラ、モリワキ、そしてBEETとなるでしょうか。

この、世界的に有名なヨシムラとモリワキは、元々同じ会社だったって知ってました? 昭和の方は知っているかもしれませんね。
 
 
 
 

ヨシムラの初代社長は、故・吉村秀雄さん。通称POP吉村。元々は街の鉄工所で、エンジン修理などを細々とやっていたそうです。細々、といってもエンジンをイジる能力には長けていたので、知る人ぞ知る存在でした。

そんな吉村の名を世に広めてくれたのは、誰あろう在日米軍の兵隊さん。趣味でドラッグレースをやっていた兵隊さんが、

「ドラッグレースに出るから勝たせてくれないか」

という依頼をくれたのです。吉村は英語ができたので、米軍向けにバイクを売ったりしていました。そんな中から生まれた依頼でしたが、これに吉村はカムを削り、バルブを削ってエンジンをチューンしていきます。

これがまぁ、圧倒的な速さ。

POP、という愛称は、そんな吉村をオヤジ(POP)と慕った在日米軍が付けたものでした。
 
 
 
 

戦後の騒乱が収まってくると、国内でも草レースが開催されるように。吉村は、ここでも才能をいかんなく発揮して、圧倒的な成績を収めていきます。

この活躍に目を付けたメーカーがいました。ホンダです。一時はホンダのレース部門において目覚ましい成果をあげますが、出る杭は打たれるの例えもあるように、現場からは疎んじられるようになり、最終的には決別するにいたります。

ただ、吉村の評価はすでに世界に知れ渡っていて、ヨシムラは世界ブランドにまでなっていました。
 
 
 
 

ここで手を差し伸べたのが、アメリカでの窓口をしていたスタッフ。マフラーをアメリカで販売したらいいと、共同経営でヨシムラレーシングUSAを設立したのです。

実はここまでが前置きです(笑)。

※次のページへ続く!!

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