単車&暴走族

【衝撃!意外?】元暴走族だったアノ芸能人、コノ芸人・2024年版【知られざる過去の真実】

 
 
 
公開後3日間で観客動員数25万人超え、週末観客動員数ランキング1位を獲得するなど大ヒット中の『帰ってきた あぶない刑事』。その舞台挨拶でのとある発言について、こんなポストがあったぞ。

舘ひろしといえばバイク愛好家でも知られているが、1974年に少数精鋭のバイクチーム「クールス」を岩城滉一と共に結成している。

クールスは当時人気絶頂だったロックバンド「キャロル」の解散ライブで親衛隊を務めたことをキッカケにバンド活動を行うようになり、その後の日本の音楽シーンにも影響を与えるなど、その存在感はかなり強烈だった。

というわけで、特に暴走族との関連性が高いと言われ、そしてインパクトあり!と判断した芸能人について、すでに噂されている内容についても改めて検討した上で、2024年現在の情報をまとめてみた。

的場浩司



ヤンキーキャラを活かして見事に俳優デビュー

1987年、18歳の時、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演すると、たちまち人気を博した的場浩司。そんな彼は高校時代、東京を中心に活動してた暴走族「幻影」でリーダー的存在だった。髪の毛を金髪にし、特攻服を着てバイクを乗り回すなど、暴走族の一員として有名だった。

その後、暴走族を脱退し俳優としての道を歩み始める。彼の強面でワイルドなイメージは、特にヤンキーや不良役にぴったりで、1986年に映画『ビー・バップ・ハイスクール』でデビューしてからは人気を博し、その後もそのキャラを生かした配役でファンを魅了した。

また、自身の過去を隠すことなく公表し、若者に対して反面教師としてのメッセージを発信する姿にも共感するファンが少なくない。

 

氷室京介



パトカーをひっくり返すヴォーカル!?

ロックバンド・BOØWYのヴォーカリストとして、アルバム『MORAL』でデビュー。その後のスーパーバンド「GLAY」や「LUNA SEA」など、多くのバンドに影響を及ぼす存在となった氷室京介

そんな彼、地元・群馬県高崎市でも有名なヤンキーで、かの悪名高い暴走族「ブラックエンペラー」のメンバーだった。そして当時「追いかけてきたパトカーを振り払ってパトカーをひっくり返した」という凄まじい武勇伝が伝わる。

ただこの「武勇伝」について改めて調査したところ、この話は、彼が警察に何度も捕まったことから派生した噂に過ぎないとされている。また「ブラックエンペラー」も組織行動に合わず短期間で辞めていて、しかも具体的な証拠や信頼できる証言はなく、噂の域を出ていない、というのが真相のようだ。

それでも氷室京介のキャリアは、音楽業界での大成功により、その荒々しい過去からの見事なまでの転身を象徴するものとなっていると言えるだろう。

 

ウド鈴木(キャイ~ン)



ケンカ最強?説

いつもニコニコしていて、温厚な人柄で有名な「キャイ~ン」のウド鈴木。しかし過去のウドちゃんは暴走族の元特攻隊長だったとの噂が。

繁華街でチーマーに囲まれても、独特の威圧感と凄みのある言動で退散させたという武勇伝は有名で、さらに、チンピラ風の男たちに囲まれた出川哲郎を助けたというエピソードもあるなど、芸能界の中でもケンカ最強説が根強く残っている。

なおこのエピソードは、ウド鈴木と出川哲朗が車に乗ってナンパしていた際に起こった事件が出どころになっている。

彼らの車が複数のチーマーに囲まれ、「ウド出川、降りてこいよ!」と車ごと揺すられるという状況に直面! このとき、ウド鈴木は冷静に対処し、出川に「隊長、これからは何があろうがこの車から出ないでください」と指示した。そしてウド鈴木は車から降り、チーマーのリーダーに対して「謝れ!隊長がプライベートで楽しんでるのになんでそんなことするんだ!」と謝罪を要求。これに激怒したリーダーがナイフを取り出し、「調子に乗ってると刺すぞ!」と脅したところ、ウド鈴木は「刺せるものなら刺してみろ!こちとら本物なんだ!」腹を見せて言い返したそうだ。

幸い、この騒ぎを聞きつけた警察が出動し仲裁したことで事なきを得たとのこと。このエピソードからも分かるように、ウド鈴木は友人を守るために非常に勇敢な行動をとり、危険を顧みずに立ち向かったのは「最強」の噂にふさわしい。

 

黒瀬 純(パンクブーブー)


画像中央のマスクの男性

M-1王者は暴走族の副総長!

人気お笑いコンビ「パンクブーブー」のツッコミ役で知られる黒瀬純。過去に暴走族に所属していたという、今では想像もつかない過去を持っていることが明らかになっている。

なんと福岡でも有名な暴走族「悪死魔」の副総長にまで上り詰めてたそうだ。当時を知る同級生は「担任の先生とつかみ合いのケンカしたのはよく覚えてます」「年上の彼女が迎えに来て、新宮町(地元の歓楽街)まで送ってもらってた、高校生なのに」等と明かしている。

暴走族時代を経て、彼はお笑いの道に進むことを決意し、福岡吉本の8期生として芸能界にデビュー。1998年結成の「パンクブーブー」は2009年と2015年に「M-1グランプリ」で優勝し、一躍注目を浴びることになった。

彼の暴走族時代の経験は、お笑いのネタにも取り入れられ、そのリアリティと迫力が評価されているようだ。

 

佐田正樹(バッドボーイズ)



その男、ガチにつき!

お笑いコンビ「バッドボーイズ」のメンバーとして活躍する佐田正樹は、芸能界屈指の元ヤンキー

幼い頃『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズを見て触発され、それ以降リーゼントをトレードマークにしている筋金入り。中学3年で学校の番長になり、高校2年で福岡県最大の暴走族「幻影」の400人のトップにまで登り詰めた。

しかしそんな佐田も修学旅行の当日、福岡県警察に度重なる迷惑行為を行ったとして逮捕される。暴走族の総長として福岡で名を馳せ、何度も取り締まりの手を掻い潜ってきた佐田がついに警察署へ連行された際、署内中お祭り騒ぎになったというエピソードも伝わっているぞ。

 

宇梶剛士



これぞ最恐? 泣く子も黙るブラックエンペラー総長

ドラマ、舞台、レポーターと幅広く活躍する宇梶剛士は、筋金入りの暴走族だったことは知られている。

しかし、具体的にどのようにすごかったかを知る人はあまりいないようだ。だがその真相を探ったところ、「最恐」と言ってもいいほどインパクト大だった!

彼は東京都新宿区出身。中学生を相手にタイマンをはるなど小学生時代からその片鱗を見せつけ、中学時代には十数人を相手にひとりで倒したという武勇伝も。さらに高校時代には野球部での先輩からのシゴキに耐えかねて暴力事件を起こし、少年鑑別所へ送致されることに。

その後、高校を中退し、北海道で叔父のもとで働くも更生は果たせず。再び東京に戻って荒れた生活を送り、ついには暴走族「ブラックエンペラー」の総長にまで上り詰めたとのこと。

しかもただ受け継いだのではなく、当時の6代目総長がいた本部に単身で乗り込んでブラックエンペラーの総長の座を奪い取ったというのだからスゴい。この行動が認められ、満場一致で7代目総長に選ばれた。総長就任時には1600人ものメンバーが集まり、その後、組織は2000人規模にまで拡大したそうだ。

複数の敵対グループとの抗争や、大規模な喧嘩を繰り返す等、他にも彼の暴走族時代にまつわる武勇伝は数々あるが、とても書ききれないので割愛しよう。

しかし、17歳のときにブラックエンペラーの総長に就任し、そのリーダーシップを発揮した彼も、数々の問題行動が原因で警察に度々逮捕されている。

なお俳優を志したのは、少年院でチャップリンの自伝を読んだことがきっかけだったと語っている。

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